筋肉少女帯ライブ・過去日記アーカイブ(1989〜)

筋肉少女帯の活動履歴、ライブ感想などを記録したアーカイブです。(非公式)

*【筋少ファン日記のあゆみ】

*【2003年発行「筋肉少女帯の活動記録1979〜2003」無料DL】

(113ページ PDF書籍 ディスコグラフィー・ライブレポート)

橘高文彦 デビュー30周年記念LIVE "AROUGE"@目黒 THE LIVE STATION

橘高文彦 デビュー30周年記念LIVE "AROUGE"」

2015年5月10日(日) 東京 目黒 THE LIVE STATION

=出演=
AROUGE
 Gt. 橘高文彦
 Vo. 山田晃士(山田晃士&流浪の朝謡,ガレージシャンソンショー)
 Ba. 福田純
 Ds. 青柳浩一郎

オープニング・アクト
Zig+Zag
OPEN 16:00 / START 16:30

Zig+Zagから。いちだんと呪がキュートになった感じ。鎖をたちきれネタが爆笑。呪いはたちきっちゃだめーとか。お決まりの呪いを祝いにかえてネタ。ヤマイを途中に入れて、ドーパミンS、クエスチョン宣言かな。30分くらい。

転換あって、幕が開いたらさらに幕が。30周年記念ロゴが描かれてる。
ハローエブリボディ〜って晃士さん登場。橘高さんの髪が!金髪じゃなーい!と驚き!かわいいー!この日のために衣装も白フリルシャツと黒ベストで、当時の感じにしたのだなぁと、今日は見れてほんとに良かった!とまず思った。
最初の2曲は幻の2枚目アルバムから。Dead Or Aliveこれすごい好きなんだ嬉しい〜。

最初の一言が晃士さん「まだ夕方です(笑)」その後ふーみんが喋らせて!とアルージュの結成話などとか。もう覚えきれないー。話が長くてなかなか曲にいかない(笑)ロフトプラスワンでやってくださいよと晃士さんに言われたり。(大槻に)影響されちゃったなぁ〜(笑)とふーみん
橘高さんが今回のライブをきめたときにメンバーにメールして、晃士さんが素敵に恥をかきましょうって返信したという話。

一番恥ずかしい曲を、ってことでEverybody's Rock&Roll これ好きなんだよ〜。この80年代の感じがいいの(笑)Makin'Love
流れ覚えてないけど、結成話では純と俺が中学が一緒でー、プロ指向で最初からオリジナルやろうと話した。プロになりたいって話を真剣に聴いてくれたのは純だけだったと。みんな東京六大学付属高校のおぼっちゃんでお金には苦労してない。ノーハングリーノーライフ(笑)
自宅にツーバスドラムセットがある子がいてそいつが最初はドラムだったけど、他のクラブ活動でやらなくなったので、そのあとに青柳さんが入った。慶応だったかな。青山が晃士さんで、青山に2人すごい歌がうまいやつがいて、そのうちの1人が晃士さんでもう一人が尾崎豊だった。二人でチャゲアスを歌ってた(このあとツイート禁止令が出る)
スリージーラスターのちらし原本を福田さんもってきたり、ステッカーも残ってる。これ今売ったらいくらかなって「はい一万円から〜」って冗談でやりだす橘高さん。
晃士さんと待ち合わせて初対面のときに、「へんな生き物が」と晃士さん。ハチ公にまたがってグレコのVを白のソフトケースに入れて持ってた。初対面ではかましたくなるんだよと橘高さん。これ前に聴いた話だけどまた話が出ると面白すぎる。
それでヤマハのコンテストに出て、全国大会に出た話。渋谷のヤマハ筋少メンバーに会った。
こないだの筋少空手バカボンと言い間違えた話も。コンテストでは毎回ベストギタリスト賞で、全国大会に出たらごほうびにレコーディングしてデモテープ作ってもらえた。
そのときの曲をメドレーでやりましょうということで、3曲くらいかな?
コンテストに出てスカウトされた。デビュー時にバンド名が覚えにくいのでかえてくれと当時の事務所から言われてあっさり変えましたー(笑)ぱーぺちゅあるどりーまーみたいに覚えにくいのでと。

あまりやったことない曲をということで、エレアコも出てきてWinterDays。当時はこの曲いいねとよく先輩方とかに言われてたけど、しいていえばてことでしょと卑屈になってた。でもあらためて聞くとすごくいい曲だよねと。
今歌うとまたいいよね、晃士さんの歌い方も今のほうがより合ってるんじゃないかっていう。

20周年のときに、晃士さんに書いた曲を。傀儡のワルツ、指
歌詞かいてくれって言われていつまで?と聞いたら2週間!次は1ヶ月にしてください。
アルージュ解散後のそれぞの活動が現れてるよね。指は弾いてると僕の歌を君にやるになってしまう(笑)アルージュがもし続けてたらこうなってたかも。という話。

ヘヴィメタルギターバトルに入ってるファルコン。オリジナルはアルージュの演奏なので、これがオリジナルですー。と。末吉さんとか別のメンバーではライブでやったことがありましたよね。
青柳さんに、がんばったと褒める橘高さん。練習したよねと、プロじゃないのにこの歳でこれだけできるってのがすごいことです。福田さんもピッキング練習するよーと言って、名古屋に住んでるのに東京まで毎回リハにきて当日に帰ってたそうだ。

29年前に解散ライブをここでやった。80年代のジャパメタムーブメントがあって。デビューアルバムのLPを持ってきて、このデザインはプリンスのパーブルレインをイメージして作ったそうだ。
解散することになって、俺と晃士は音楽を続けてあとの2人は引退することになったので、福田さんは全部機材を手放したという話。マネージャーに預けてそのままずっと保管されてたのだとか。それを持ってきてくれた。当時のマネージャーいじめてたのによく持ってたね(笑)っていう。
橘高さんは解散ライブの夜も、やめたくないよーって朝5時まで泣いてたんだってかわいい。でも辛かったんだろうなー。その数年後に筋少に入ることになったけど、筋少ちゃん祭りでアルージュやって集まった。その後もずっと関係が続いている。アルージュは10代の青春だった。
昔にバンドやってた仲間と今でもみんな元気で話あえるって重要だよね、重要(笑)と笑い合ってた。この歳になるとなんらかで疎遠になったり病気や亡くなってしまったりで集まりたくてもできない人がいっぱいいるから。

話が長いですがはしょるとこういうことですよね?と晃士さんがまとめるのが面白かった(笑)イントロが長いのと一緒なんだよ!はしょりたくないんだよ!小さな恋のメロディのイントロとか。

80年代ジャパメタのMCをやろう。みんなどうかしてたから(笑)ハイトーンで、なんでこうなったんだろうね、あれ二井原さんがはじめたらみんなやるようになったらしい。二井原さんによるとこれは清志郎さんの影響だったとか。それが二井原さんがやるとああなってハイトーンで(笑)。晃士さんマネして裏声で。当時初めてその煽り方を聞いたときの晃士さんの冷静なツッコミが超おもしろかった。いやいやなんで。とかいって。
それをやって欲しかったんだよね。うん。
うん、がんばれオレ!と晃士さん。
Chains 鎖をーたちきれー出た〜!楽しい♪

思ったよりピックをばんばん投げなかったので全く取れなかったーアルージュピック欲しかった〜。ギターも当時のをいっぱい持ってきたよ、でも後ろ見えないよねごめんね、毎回掲げればよかったねと。
アームつきの赤いV。あとはないけど当時はストラトも使ってたよ!と晃士さん。ええー!と驚いた声。エクスプローラーもあったとか。エンドーズ結んだから使ってたんだったっけな。当時何か加工しようと誰かがガムテープベタベタにされてしまったとか言ってた。

枚方のヒット曲「七転び八起き」(笑)歌おうか? 遠慮しときます(晃士さん)その次にも枚方のヒット曲があったけどタイトル忘れちゃったそうだ。その次に東京に出てきて作ったのがNight。その間に何があったんでしょう(笑)と晃士さん。
スリージーラスター時代の曲。見果てぬ夢、真夜中の愛劇
長い面白い(笑)いいでしょ?覚えやすくて。みたいな話してたと思う。

アンコール最初の挨拶を橘高さん一人でやって、その前に福田さんがベースソロから初めて前に出てあおるところかっこよくて、それ見ててぐっときたって曲のあとで話してたときに、晃士さんがわざとらしく泣かせようとして言うの可笑しかった。それじゃ泣かないよーって。
でも挨拶するところで、これでアンコールやったら終わりになるとぐっときて涙出ちゃって、でもやらないと次に進めないって。泣いちゃったーって。1晩限りの再結成で、解散だけど次の35周年はアルージュはやらない(えー!と声あがる)カタギの2人が大変だから。でも40周年は還暦だから、そのときにみんな元気だったらやりましょう。今決めました。いいよね?いつも俺は先に言っちゃうの。
それでメンバー呼びながら決めたからーって。福田さんが例のデニムベストだー!後ろにジューダスプリースト。あとスコーピオンズの何か(バッヂ?)よく見えなかった。またやるらしいよー。と言ってた。あっちは50周年だって。俺たちまだまだだな!
純は次は赤いちゃんちゃんこだな!と言われる。晃士さんは今の活動からすると(前半でシャンソンロックって橘高さんに言われて、そんなこと言った事無いですよ。(笑)と言ってた)そこから入ってきた人のほうには、昔にジャパメタって恥ずかしくて隠すかもしれないけど、晃士はいいよーって言ってくれた、やらせてしまってすまん。ってあやまったのに、その直後に赤いストールもってきてこれかけてくれって、さっき謝ったのにすぐですか(笑)と晃士さんあきれる。

毎回欠かさずやってたこの曲で、ということで
Play a Game やっぱりこれですねー!腕ふりあげて。