幻~『サーカス団パノラマ島へ帰る』再現ライブ
橘高さんが書かれてた通り、本来は2020年に企画されていたアルバム2枚の再現ライブが当時コロナ感染影響で中止になって、やっと今年にできるようになったということですね。
クラブチッタ川崎では全席指定で2階も入れて満席でした。この会場も歴史が長く筋少もデビュー当時から何度もやったところ。もう無くなった会場や改装した会場も多いから貴重です。
「ロックは、生き様を見せるもんなんだよ」という事をオーケンは言ってました。異端とか長らく言われてきた筋少だけど、皆さん真面目で努力されてきた、王道のロックバンドだと思います。
「サーカス団」アルバムは平成2年、1990年に発売されたというのをオーケンがMCで説明。36年も前だーうわぁーとメンバー一同感心というか、なんとも言えない感慨深い空気に。10年20年じゃない途方もないような年月だ。メンバー全員還暦超えてライブやって再現できるっていうのが凄すぎるし、ファンとして見続けてこれたことに有難さと、無事見れたことの幸運とご褒美感がいっぱいです。
アルバムの曲順でやるだけでなく、音源通りにSEも入れて完全再現してるのも、期待通りで更に楽しませようとしてくれる思いを感じました。曲の合間には当時のエピソードや思い出話も和気あいあいとメンバー同士笑いつつ。
自分の文章では伝えるの難しいが、すごいのは当時はインターネット普及してないどころか携帯電話もない、音楽制作はパソコンじゃない。メンバーの年齢は24歳から25歳という。これでこのアルバムの世界観とクオリティの高さは凄すぎる。
そして当時、世間でバンドブームであって筋少もデビューしてバーンと売れた、オリコンも上位に入った。一番たくさん全国ライブしてテレビも色々出演したという話も。オーケンが言うには当時、東京では満席だったけど地方ではそうでもなかった。というと他メンバーが「いや地方でもけっこう入ったよ」と口々にいう。そこをオーケンが、僕がいいたいMCの流れを君たちは長年やっててちっとも分かってない!と言い返し、36年たってクラブチッタで満席になったぜ!イエー!という流れなんだよ。ということでした。確かに当時、1990年は地方もけっこう入ってて、その後にバンドブームが終わってから動員が下がってしまったんだと思う。
現在ライブに集ってるファン層もおそらく幅広いと思うし、当時からライブに行ってた人だけじゃないから、こんな感じだったんだっていう平成時代と筋少の歴史を知れたと思います。
ふーみんの衣装もリリース当時のものと同じか似たような感じで、スタイルがほぼ変わらないのが凄いかっこいい。さすが永遠の24歳。オーケンがいつからその設定なの?「設定いうな!」といつものツッコミ。おいちゃんが使ってたモノクロ格子柄のギターもおそらく当時使ってたものをこの日のために用意したのだろうと思います。
序盤の2曲続けて聴いてて、当時のファンになりたての熱量とか色々こみあげて感激でうるうるした。一度活動休止してしばらくやってなかった時期、またライブでこうして聴けるようになるとは考えられなかったし、活動再開してから長く続けられていることが奇跡的で、感謝です。
当時メンバーは若かったし、音楽業界もまだロックバンドが一般的じゃないから何もかも過渡期でめちゃくちゃだった。オーケンの歌詞はインディーズ時代からのとデビューしてからのものが混在していて、若いころの不安とか衝動とか相まってて、社会に出たてで急にブームに放り込まれてた。振り返ってオーケンは歌詞が暗いね。それがとてもいいねと話した。そして、それが突き抜けて「おサル音頭」ができて、さらに次に「レティクル座妄想」という暗黒の世界観ができたっていう躁鬱がすごいねと笑う。すると橘高さんが「そして今『楽しいことしかない』になったんだ」と繋がると、おおーと感心して拍手。
楽曲でいうと、サーカス団は色々とやりたいことを詰め込んだという話。70年代洋楽ロックの影響を受けていたのと、色々な試みをしていて面白いとメンバー一同感心。バブルだったのもあり、NYまで行ってトラックダウンしたエピソードも。スタッフが本当かウソか「マドンナが歩いてた」とか「エースフレイリーが上の階にいた」など言われたとか。外で撮影してたら通りがかりの人に「アーユーラウドネス?」って聞かれた話とかで爆笑。そこで今だったら二井原さんのモノマネしたのにな~と橘高さん。
近年ではわりと短めの曲を作るよう意識しているという筋少だが、90年当時はプログレ好きの影響で、長いのがカッコいいとかハードなギターソロが入ってるのがカッコいいなどで、「アメリカンショートヘアの少年」はプログレ調がうっちーで、ギターソロのパートを橘高さんが作曲した話も。
歌詞も曲も筋少には、当時10代だった私はそれでサブカルとロックの情報をいっぱい筋少から知ることになった。そして当時のライブツアーではライブ後の打ち上げを毎回やってずっと飲んでたって話。「バカだったね!」とメンバー一同強くうなづく。これもよくオーケンが話す話で、70年代の洋楽ロックバンドに憧れてたので(KISSとか)酒飲んで暴れるのがカッコいいみたいなのがあった(X 、ルナシーあたり界隈のバンドどこも同じ)それを10代の私も知っていた。スマホが無い時代だから、情報の伝わり方もすぐではない。女子校だったし身近にいる少し年上の男性はこういう感じだって知ったのも筋少からだった。
中間あたりでオーケン一人で座って「パノラマ島へ帰る」を歌い、そのあとメンバーが入ってアコースティック編成で歌なしの「後悔の日」をオーケンも演奏。
続けてするっと「また会えたらいいね」をフルで聴けて、これをライブで聴けるのも次にいつかわからない、最後になるかもしれないとよぎった。たくさんの曲がある筋少だから、その中でもあまり演奏する機会がないレア曲にあたる。歌詞の内容が「サンフランシスコ」の話と繋がっているから、よく演奏される「サンフランシスコ」の裏的な感じ。
現在のようにサブスクではない、アルバム1枚単位で聴かれた時代だから、曲順とその合間のSEなども、通して一つの作品として入り込めるようにこだわって作られていました。逆に、アナログレコードで昔の楽曲にはまる若者も増えているそうだから、こうした楽しみ方もまた若いロックファンに伝わってたらいいなと思います。
少々の休憩時間を入れて、メンバーが戻って「高木ブー伝説」を演奏してアルバム再現は終わり。これで終わるかあと1曲くらいかな?って思ってたので、その後「くるくる少女」ってオーケンがコールしてびっくり嬉しかった。さらに「君よ俺で変われ」をやって、MCでオーケンが今日、メイクスタッフの女性が最近あるミュージシャンに励まされて嬉しかった話をして、でもなんて言われたか忘れたっていうエピソードを出して、オーケンもなんかいいことを言って、でも後でなんて言ってたか忘れるだろうって話してから、観客に対してもし、今うまくいってないとか不安があるとかでも、筋少が36年後になって現在こうして満席でライブができてる、これまでの様々な困難だったことも全部が今になって良い結果につながるんだっていう、そういう話でした。
そして「ディオネア・フューチャー」この曲だけ再結成後の曲で、未来の希望に繋がるような開放的な感じです。観客の盛り上がりも最高潮に。これでメンバーが下がって終わりと思ったら、アンコールに出てきて「サンフランシスコ」をオーケンがセットリスト表をはがして「サンフランシスコ」でほんとに終わりですよ!と言いながら歌って、メンバー挨拶してはけるときのBGMで「楽しいことしかない」で終了しました。
帰りの電車でX見てたら、おすすめに流れてきたのがある人気バンドの活動休止の話題で、たくさんのファンが嘆いてる発言があって、中でも「わたしが高校生のときから9年ファンだったのに活動休止した」っていう、それがドラマーが脱退で活動休止っていうのが筋少とまるで同じだったから、時代は変わってもバンドって似たようなことあるんだなと。落胆しているファンに知ってほしい。長く活動しつづけられるバンドは本当にごくごく少なくて、20年とかと今ではプロでバンド活動っていうことそのものが珍しくなってると思う。一人でパソコンで作ってネットで発表できるから。それでも楽器持ってバンド組んで曲作ってライブ活動でプロになるっていうこと、それは引き継がれていたら素晴らしい。亡くなったとか犯罪とかで辞めたではなくて、メンバーが離れて活動やめたバンドは、いつかなんらかの形で年月経ってまた再開できることがある。熱心なファンがたくさんいて愛されたバンドは、音楽を真剣にやって好きな人は活動を続ける。いま悲しんでいるファンもいつかは笑えるライブが見れる日がくると思う。