短大2年の研修旅行で、京都・奈良に行ったのだが、その時期にツアーが重なったため、それを利用して同時に愛知、広島のライブに行った。
短大では入学してまもなく、オーケンファンの友達がクラスに見つかり仲良くなった。その子は追っかけはしない主義だったので一緒ではなかった。研修旅行の当時に、オーケンのエッセイ「のほほん雑記帳」の初版が発売された。その当時はまだ作家ではなく写真もついたアーティスト本という感じであった。友達はこの本でオーケンが初めて彼女を作ったあたりの描写を読んで、静かに泣いていた。バスの中で見た、その横顔が私の頭に残っている。
その後ほどなく、彼女は筋少から電気グルーヴと、フリッパーズギターのほうにはまっていった。彼女のおすすめのおかげで私はフリッパーズからその後ソロも聴いて気に入った。当時の渋谷系ブームをちょっと知ることができて良かった。その後オーケンと小沢健二の対談が市川さんの時の「音楽と人」であり、それからオーケンのソロアルバムでオザケンの曲をカバーしたりもした。
それから、当時就職活動中であった。バブルがはじけて不況が始まった時期だった為、就職難の時代が始まったのだが、私はライブに行きたいあまりに、脱色した髪も黒く染め直してきつく編み込んでまとめて、さっさと地元の中小企業に内定を決めてしまった。しかし、それが後になって痛い目にあうとはこの頃全く思っていなかった。