筋肉少女帯関連ライブ・過去日記アーカイブ(1989〜)

筋肉少女帯の活動履歴、ライブ感想などを記録したアーカイブです。(非公式)

ムーンライダーズ状態が理想

グルグル映畫館は先日、リーダーの天野さんを残してメンバー全員変わったそうです。
今のインディーズビジュアル系バンドは、各バンドの間で頻繁に脱退や加入を繰り返しているようなので、ファンもちょっとやそっとじゃ驚かないみたいです。サッカー選手みたいなもんですね。チームの移籍が頻繁にあって、選手を追いかけるファンもいれば、チームを応援するファンもいるという感じなのでしょう。
筋少もデビューまでは頻繁にメンバーチェンジがあったバンドでした。だからデビュー1年後にメンバーチェンジがあった時も、いつ誰が脱退しても、解散してもおかしくないと思ってました。
でも、その予想に反して、長く続いたんですね。バンドブームを乗り越えて、事務所からクビにされても続けていこうと全員で決意したという話を聞いたとき、いいじゃない、ずっと続けていけるかも?と思って、その後武道館ライブが出来た時は嬉しくて、もしかしてもしかするかも、私がかねてから憧れていた、ムーンライダーズ状態になれるかもと思っていました。

1994.12.2 日本武道館
オーケンののほほん日記」の中で私が好きなのが、この時のライブの様子を書いた部分です。
ライブのオープニングで武道館のステージに立ち、後ろを振り向くと4人が楽器を構えている。明かりが付くとお客さんがみんなニコニコと笑っていた。信じれば夢がかなうなんて思わないけど、いい方向に転ぶこともあるもんだと、その嬉しさを表現しています。
その後もしばらく危ういながらも続いていたので、活動停止時はやっぱり悲しかったですね。
でも今振り返れば、この時からオーケンのソロアルバムの製作も始まっていましたし、オーケンがやりたいと思っていた音楽性は、 彼の好きな音楽のルーツである70〜80年代パンクなどであったので、HR/HMが柱となっていた当時の筋少からは離れていました。
この時期に出た雑誌のインタビューで、オーケンは「筋肉少女帯も僕がいなくなって、代わりに誰かが歌ったとしても筋肉少女帯と名乗れば大丈夫なの。」と言っていたのですが、皮肉なことに実際脱退してしまうとは、当時誰が予想したでしょうか。「筋少の大海賊」のアルバムジャケットの写真は、内田さんがこの武道館ライブのステージを撮影したものでした。

オーケン週刊アスキーで99〜2000年に連載していた「90くん」の単行本を今日読んだのですが、ここではオーケン筋少脱退劇の顛末が、彼の側から書かれてます。
掲示板に突然メンバーチェンジの件を書いた時、ファンの反応を予想してなかったんですね。まさか反対されるとは思わなかったと。
そこがオーケンらしい所で、常に自分が中心であるカリスマロッカーだなと(笑)他のメンバーのファンも居ることが頭に入ってなかった。まあ他のバンドより、バンドの中でオーケンの持つ要素は特に濃いですが。
でもそこで、何を言われてもやりたい事をつき通すのかと思ってたんですが、反対意見にびっくりして、辞めちゃった。私もこれには拍子抜けでした。

今はオーケンが「早く新しいボーカル入れてやればいいんだよ」と強がって言ってますが、多分それはやらないんだろうなと思います。
私は活動再開をして欲しいかどうか?っていうと、このままでもいいと思ってます。以前のような継続的活動を望んではいないですね。
以前、それぞれ各メンバーが外部活動をして、何年かごとに集まって筋少もやるというスタイルが理想だと話していたのも、オーケンでした。これこそムーンライダーズ状態です。
元気ならば、今のアンジーみたいに何年かに1回、筋少ちゃん祭り風にやってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。結成10周年記念の時のインタビューで、オーケンがさらに10年後の筋少についての想像でこんな事を言ってました。 —ワイト島で「筋少ちゃん祭モンスター」が開かれて、世界中のメタルバンドが「日本の米」を歌い、最後に筋少がヨタヨタしながら出てきて、橘高が「世界中のメタルキッズよ!!」とか言い出す(カメラ目線で)

当時は冗談で読んでたんですけど、まさかこれも実現したりして。(笑)

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