筋肉少女帯ライブ・過去日記アーカイブ(1989〜)

筋肉少女帯の活動履歴、ライブ感想などを記録したアーカイブです。(非公式)

*【筋少ファン日記のあゆみ】

*【2003年発行「筋肉少女帯の活動記録1979〜2003」無料DL】

(113ページ PDF書籍 ディスコグラフィー・ライブレポート)

ニフティサーブ「筋少会議室」投稿文章

筋少活動停止について、やっと少し冷静に考えられるようになったので、
やっと書き込みます。
10月15日、私が筋少オフィシャルサイトにこの発表があったのを見て、翌日にFC会報でこの発表を見て、そして筋少オフィシャルサイトのBBSのオーケンの発言とファンの反応を見て、動揺しているのを見た夫が、会議室に意見を書いてくれました。的確な意見でした。
私はすぐに会議室に書けるような心理状態ではありませんでした。
悲しみ、暴言やぐちをぶつけるだけになりそうだから、やめました。
ここは公の場であるから、しっかりした自分の意見を書きたいと思うと、筋少メンバーとスタッフ側の事情が複雑なのだろうから、ファンが勝手なエゴで意見するのはいけない、などなど考えすぎて、書くのをためらった。
それから、金曜日の筋少定例RT(チャット)で、自分の言いたいことを素直に言ってみました。
そしてやっと少し整理できたような気がしました。

その日も普段と同じように、仕事から帰り、インターネットに繋ぎ、筋少オフィシャルサイトを見ました。
活動停止、太田さんは脱退。
「なんで解散じゃないの?!」私が始めに叫んだのはこの言葉でした。
脳裏に浮かんだのは、橘高さんのいつかのインタビューの言葉でした。
「メンバーの1人でも脱退するようなことがあったら、解散させる」
橘高さんが、筋少というバンドをいかに愛し、大事に思っていたかを表わす発言だったと思います。
その後すぐ、オフィシャルサイトのBBSを見ました。
管理者のスタッフの方からは、このようなコメントがありました。
「活動休止の報告はファンにとってショッキングなできごとだったと思います。メンバーもノーマンベイツもどうお知らせしたら良いかずいぶん悩んだようでした。できれば事実は事実として冷静に受け止め、見守ってあげてください。 」
そのあとから続くファンのコメントは「残念です。でもお疲れさまです。復活の日をいつまでも待っています」
このような言葉が続いていました。突拍子もないことを書く人などはいません。じっと耐えて、悲しんでいるようにみえました。長いバンドですから、ファンも大人です。筋少と同時期にデビューしたバンドが次々と解散、休止していくのを端で見てきたから、分かってはいます。どこも複雑な事情があったのですから。決まったことは決まったこと。誰が悪いわけでもないし、ファンが引き留めることなどできないのですから。
パソコンを閉じ、隣の部屋で明りを消したまま、しばらくの間泣きました。泣かずにはいられませんでした。
ファンになった時から、すぐに解散するであろう、今までも、いつ解散、休止して
もおかしくないと思っていました。
でも、これは私の思っていた活動停止とは違っていました。今年の渋谷公会堂が太田さんの最後の筋少でのライブだったことが今分かったこと。
それでも筋少の名前を残し、筋少の活動を停止すること。
複雑な事情はあったと思う、だけどなぜこんな結果になってしまったのか。
誰が悪いわけでもないのは分かる。どこにもやりようのない辛さで、悲しい。
10年間の思い出が、いろいろとよみがえって、あのとき橘高さんは、オーケンは、内田さんは、本城さんは、太田さんはこう言っていた。
だからなのか、でも、なんで‥。そんな思いがぐるぐると回りました。筋少は、私が好きでずっと見てきたバンド。だから活動停止してもずっとこのメンバーのままであってほしいと思っていたけれど、やっぱり、他のバンドと同じように、一人脱退して、どうしようもなく停止してしまった、という結果になってしまったのかと。
一番活動が盛んだった頃からメンバーが欠け、活動を停止してしまったら、もし活動を再開するにしても、昔の回顧を含むわけです。メンバーを新たに加入、またサポートを入れたとしても、前メンバーでやってきた演奏は2度と聴けないわけです。メンバーは若くはありません。これから復活してメジャーで契約してヒットが出せる確率は非常に難しいでしょう。同じように停止したどのバンドもそうであったと同じように。活動休止も、解散も同じことです。再活動か再結成がありえますから。
好きだった時からメンバーが変わるのは、ファンだったらやっぱり辛い。そして、その後の各音楽誌などの反応はどうだろうか、各メンバーの個人活動が雑誌のニュースページの隅に載るのでしょうきっと。あの時はこうだった、とコメントが出るのか。そう思うとまた空しくなって。
それでも、筋少を、今までの思い出を、残された作品を、これからの各個人活動を
見捨てるということはできない。
ファンは勝手なものです。自分が描いたシナリオ通りにどうしても進んでほしいと信じるものです。今までだったら、意見を書いたりしながら取り込んできたけど、ここに来て、とうとうどうしようもない事で外れてしまいました。それが5年くらいだったらまだよかった。10年はあまりにも長かったでした。もしかするかも、と思ったから。それだけにショックは大きかったでした。

翌日、最後のFC会報が届きました。ゆっくりよーく各メンバーのコメントを読みました。橘高さんが一番この事について語ってくれましたが、言いたい事が言えず、でもファンを気づかい言葉を選んで話してくれているように思いました。
各メンバーが揃って言っていたことは「筋少は解散ではない。少しお休みするだけ」ということでした。ロックの歴史の中で、筋少を終わらせることはしたくなかった。そう思っての結論なのだろうと私は受け取りました。
会議室にどう書こうか、悩みました。複雑な事情とか、きっと悩みに悩んでこういう結果を出したのだろうから、むやみに勝手な意見はできない。でも、私がただ「お疲れさま。これからもがんばって、復活をいつまでも待っています」とは書けるわけがない。

翌日またオフィシャルサイトを見ていたら、オーケンのコメントが。ソロでも筋少の曲をばんばんやりますと。
「結局誰でもいいわけ?」と思わず叫んでしまったのが本音。
それまで筋少は5人でやってきたわけであって、筋少ができないから活動休止したのに、これではボーカル以外メンバーチェンジして活動を続けることと同じことをしているとしか私には思えなかった。