筋肉少女帯ライブ・過去日記アーカイブ(1989〜)

筋肉少女帯の活動履歴、ライブ感想などを記録したアーカイブです。(非公式)

*【筋少ファン日記のあゆみ】

*【2003年発行「筋肉少女帯の活動記録1979〜2003」無料DL】

(113ページ PDF書籍 ディスコグラフィー・ライブレポート)

筋肉少女帯バイオグラフィー(私設)

1979〜前身バンド「ザ・ドンズ(ドテチンズ)」結成
1982〜「筋肉少年少年隊」結成、その後「筋肉少女帯」に改名
1983、1984ヤマハ渋谷店主催「中高生バンド合戦」に出演
1985〜ナゴムレコードからEP「とろろの脳髄伝説」発売
1986〜イベント「子どもたちのCity」参加
1987〜ナゴムレコードからEP「ノゾミ・カナエ・タマエ」「高木ブー伝説」発売
1986年・1987年の出来事

1988【メジャーデビュー】

1988年の出来事

1989【三柴さん脱退、本城さん、橘高さん加入】

1989年の出来事

1990【初の武道館ワンマン】

1990年の出来事

1992【結成10周年】

1992年の出来事

1993【トイズファクトリーからMCAビクターへ移籍】

1993年の出来事

1994【4度目の武道館ワンマン】

1994年の出来事

1995【オフィシャルサイト開設】

1995年の出来事

1996【マーキュリーMEへ移籍】

1996年の出来事

1998【デビュー10周年、活動停止】

1998年の出来事

1999【X.Y.Z.→A結成】

1999年の出来事

2000【特撮結成】

2000年の出来事

2002【「筋少の大海賊Vol.1」発売】

2002年の出来事

2003【「筋少の大海賊Vol.2」発売】

2003年の出来事

2005【橘高文彦デビュー20周年】

2005年の出来事

2006【復活】

2006年の出来事

2008【デビュー20周年 武道館ワンマン】

2008年の出来事

2011【仲直り5周年】

2011年の出来事

2012【結成30周年】

2012年の出来事

2013【デビュー25周年】

2013年の出来事

2016【再結成10周年】

2016年の出来事

2018【デビュー30周年】

2018年の出来事

2022【結成40周年】

2022年の出来事

2023【デビュー35周年】

2023年の出来事


これまでのあらすじ
※参考資料:「HYP」フールズメイト刊 1990年「筋少新聞vol.3」1998年「筋肉少女帯自伝」2007年

(はじまり)
1978年、中学校の同じクラスで大槻さんと内田さんが出会います。後に大槻さんのエッセイ等で何度も出て来るエピソードの「内田の家の火事」は、中学入学直前の春休みのことでした。(1978年3月14日か19日だそうです)

結成〜インディーズ
1982年2月、東京で「筋肉少年少女隊」としてバンド結成されました。中学の同級生でそれぞれ別の高校に進んだ大槻さん、内田さんを中心にメンバーが集まりました。(当時16歳)大槻さんは当初ベースとボーカルでした。内田さんはキーボードでした。
同年4月6日、新宿JAMにて、内田さんの高校の先輩(既に卒業)であったKERAさんのバンド「伝染病」解散ライブ兼「有頂天」結成ライブに呼ばれて共演したのがライブデビューでした。KERAさんのバンドには、内田さんと同じ高校で1つ学年上の本城さんが在籍していました。
その後、大槻さんはベースを弾きながら歌えないため、ベースは内田さんになり、大槻さんはボーカルのみになりました。
同年11月、本城さんが筋肉少女帯に加入し、有頂天と掛け持ち時期もありました。
1983〜1984年、ヤマハ渋谷店主催「中高生バンド合戦」に出演。同じコンテストでは、橘高さんが「スリージーラスター」で参加していました。84年に「アルージュ」と改名してメジャーデビューします。(86年解散)
1985年4月、本城さんが脱退します。同年8月、三柴さんが加入します。
同年9月、KERAさん主宰のナゴムレコードよりEP「とろろの脳髄伝説」を発売します。ナゴムレコードはインディーズブームで注目されます。
1987年3月、EP「ノゾミ・カナエ・タマエ」同年8月「高木ブー伝説」発売されます。

メジャーデビュー
1988年6月21日、シングル釈迦アルバム仏陀L」でメジャーデビュー。全国ライブハウスツアー、イベント出演など。ドラムのみのすけさんが俳優転身のためメンバーチェンジして、太田さんが加入しました。
同年12月、アルバムSISTER STRAWBERRY」発売。ギタリスト不在だったため、サポートで横関敦さんが参加しました。
1989年2月7日、日本青年館ライブをもって、三柴さん脱退します。当日は、すでに加入を打診していた本城さんと橘高さんも見に来ていたそうです。
同年2月22日、大槻ケンヂオールナイトニッポンにて、本城さん、橘高さんの加入が発表されました。
同年4月、オールナイトニッポンは終了しますが、折からのバンドブームの波が起こったおかげで筋少が注目されることになりました。ラジオから生まれた曲「ボヨヨンロック」は大槻さん、内田さんのユニット名「まんが道」として発売されてチャートインを果たしました。
(※私がファンになったのは、ラジオがきっかけでこの頃になります。)
同年7月5日、アルバム猫のテブクロ」発売。全国ホールツアー、8/17,18は渋谷公会堂2daysでした。
1990年2月5日、アルバムサーカス団パノラマ島へ帰る」発売、2月7日、初の日本武道館ワンマンライブが行われました。
同年11月21日、アルバム月光蟲」発売、全国ホールツアー、1991年3月6日日本武道館ワンマンでした。
同年7月21日、アルバム「断罪!断罪!また断罪!」発売。この頃あたりから、バンドブームが下降線になったようです。全国ライブハウスツアー、学園祭など。
1992年、結成10周年記念企画として「筋少ちゃん祭り」ライブが始まりました。4月4日は10周年記念の野音ライブでした。5月21日、アルバムエリーゼのために」発売。初めて本城さんの曲が入りました。9月12日、NHKホール。その後事務所を辞めてしばらく所属がない状態でした。
1993年、事務所移籍して、4月25日アルバムUFOと恋人」発売。同年8月、レコード会社移籍しました。11月2日、日本武道館ライブ。
バンドブームが去っても、固定ファンを掴んで活動をを続けてきました。
1994年4月21日、アルバムレティクル座妄想」発売。12月2日、日本武道館ライブ。大槻さんと橘高さんはソロ活動を始めていました。
1995年、1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件がありました。
5月は「筋少ちゃん祭り」、8/7,8はクラブチッタでアコースティックライブでした。その後ワンマンライブでもアコースティックコーナーが導入されました。
12月に筋少オフィシャルサイトが開設されました。
(※96年4月、ファンサイト開設しました)
1996年、3月「ステーシーの美術」発売。9月、橘高さんの披露宴がパワステでありました。
11月、レコード会社移籍して「キラキラと輝くもの」発売。12月から年またぎでツアーでした。
1997年、1月19日渋谷公会堂でツアーファイナル、3月から「筋少ちゃん祭り」パワステ4daysと、大阪でも2days行われました。
10月15日「最後の聖戦」発売。12月の赤坂ブリッツまで全国ライブハウスツアーでした。
1998年、デビュー10周年記念として3月にビデオ、6月にベストアルバム発売。ツアー名古屋・大阪、ファイナルに7月31日渋谷公会堂でした。これが活動停止前最後のライブでした。

活動停止中
1999年2月、橘高さんはXYZ結成しました。5月ごろ、筋少オフィシャルサイトのBBSで炎上しました。
7月1日、オフィシャルサイトにて大槻さん、橘高さん脱退と活動凍結の発表がありました。
2000年、大槻さんは特撮結成しました。
2002年12月8日「筋少の大海賊サミット」本城さんと内田さんが開催されました。「筋少の大海賊」ライブアルバムが続いて2003年にもvol.2が出ました。

若い世代から筋少ファンが増えたり、かつての筋少ファンが年を経て作家や漫画家や、様々なサブカル方面に進出して、筋少ファンであることの影響を広げていることが分かりました。インターネットが普及したことで、動画サイト等で聴かれだしたようです。
2004年は三柴さんのライブに本城さんがゲストに出て筋少曲を演奏しました。
2005年1月、橘高さんデビュー20周年ライブで内田さん、本城さんが集まって筋少曲を演奏したり、「のほほん学校」や大槻さんのライブ等で、周辺で筋少復活への外堀が埋められていきました。大槻さんは筋少の資料を公募して、2006年雑誌連載で「筋肉少女帯物語」を開始しました。
そして7月22日、「大槻ケンヂと橘高文彦リキッドルームライブにて筋肉少女帯の復活が発表されました。

復活後
2006年の後半から、のほほん学校や「リハビリバンドK」など準備期間を経て、12月23日のリキッドルーム、12月28日の中野サンプラザで完全復活を果たしました。三柴さんがサポートに参加されました。
2007年、ベストアルバム「大公式」発売、春にリキッドルームワンマンや、7月はすかんちCCレモンホール対バンライブ。
9月5日「新人」発売。復活後のオリジナルアルバムが出ました。
「新人」ツアーを経て、2008年ベストアルバム「大公式2」発売。「大公式新人大公式2ツアー」東名阪ツアーでした。フェス参加、8月27日シングル「ツアーファイナル」発売、9月21日、日本武道館ワンマンでした。
2009年5月20日「シーズン2」発売とツアー、9月デビューアルバムから8枚目までアルバム再発で限定曲ツアーでした。年末はライブ,PV集もDVD再発されました。本城さんはtwitter開始されました。
2010年1月よりレコーディング、6月「蔦からまるQの惑星」発売、舞台「アウェーインザライフ」と、東名阪ツアーでした。秋は後期曲中心の東名阪ZEPP座席ありツアーでした。
2世代ファンも増えて世代幅広くなり、復活からの新しいファンも次々と増えました。再結成バンドではなく進化したバンドになったと思います。
2011年、3月震災のためライブ延期になり、「チャリティのほほん学校」でメンバーが揃いました。5月ツアー、7月振替ライブでした。10月は「仲直り5周年」ライブでした。12月ワンマンは「完売御礼!」
2012年、「筋少動画01」DVD発売、結成30周年記念ツアーが行われました。
2013年はデビュー25周年でした。公式セルフカバーベストアルバム「4半世紀」発売、6/22中野サンプラザライブは完売しました。
2014年、オリジナルアルバム「THE SHOW MUST GO ON」発売。オリコンウィークリー初登場10位に入りました。
2015年、ユニット「筋肉少女帯人間椅子」シングルリリースと対バンライブ開催、アニメ主題歌シングルリリースされました。オリジナルアルバム「おまけのいちにち(闘いの日々)」発売。

再結成10周年~
2016年、メンバー全員50歳以上に。アニメ主題歌シングル第二弾リリース。オーケンが喉ポリープ除去手術のため4月のライブ後から夏ごろまでライブ活動休止。秋に新曲シングルと再結成10周年記念ベストアルバム発売。
会員制チケットメンバーズ発足の告知がされました。
2017年、公式twitterアカウント開設。「猫のテブクロ」アルバム完全再現ツアー開催。オリジナルアルバム「Future!」発売。カバーやリメイクの入らない全新曲。ツアーファイナルの赤坂ブリッツはソールドアウト。オーケン仮面ライダー映画のラスボス役で出演して話題に。
2018年、デビュー30周年記念、全曲オリジナル新曲アルバム「ザ・シサ」発売。リード曲「オカルト」はオーケン出演映画「緊急検証!THE MOVIE ネッシーvsノストラダムスvsユリ・ゲラー」主題歌(2019年1月公開)
2019年、YouTubeオフィシャルアーティストチャンネル開設。デビュー31周年突入記念、6/30中野サンプラザ。「筋肉少女帯展」墓場の画廊ショップ(東京中野・大阪心斎橋)開催。全曲オリジナル新曲アルバム「LOVE」発売。毎年恒例の12/23ライブは、改元で祝日が解除されたため今年が最後になりました。
2020年、決定していた5月のライブ2日間(「サーカス団パノラマ島へ帰る」「月光蟲」リリース30th記念ライブ)がコロナウイルス感染拡大の影響で中止になった。大槻さんが個人アカウントを立ち上げ、twitterYoutubeなどを使い発信、筋少メンバー同士の打ち合わせにZoom導入など手探りで活動を続行しました。
そして6月に配信ライブイベント、フェス参加は無観客配信に。10月、11月にホールで感染防止対策を行い有観客ライブを行いました。
2021年、国内でコロナウイルス感染拡大が落ち着かないため、当初4月に予定されていた「シンクロニシティ」イベント(各メンバー個別活動の合同ライブとトーク)が8月に延期されて開催。筋少のフルライブは観客キャパを半分にして、また有料でライブ配信されました。オリジナルアルバム「君だけが憶えている映画」発売。デビュー33周年記念ライブが建て替えられた渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)にて行われました。
2022年、5月の結成40周年記念ライブがクラブチッタで開催からはじまり、デビュー35周年カウントダウンシリーズとして6年ぶりの「筋肉少女帯人間椅子」ライブが渋谷公会堂にて開催、「すかんち筋肉少女帯 創業40周年大感謝祭」がZeppDiverCity(TOKYO)で開催。さらに11月にはインディーズ時代の3曲をリメイクしてCDリリース、記念ワンマンツアーを行いました。
2023年、メジャーデビュー35周年。カウントダウンシリーズと題して、アルバム「UFOと恋人」発売30周年記念の再現ライブ開催。デビュー日の6月21日に「#筋少の日」LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で開催。オールタイムベストアルバム「一瞬!」発売、記念ツアー全公演Sold Out、12/23の年末ライブも完売しました。