筋肉少女帯ライブ・過去日記アーカイブ(1989〜)

筋肉少女帯の活動履歴、ライブ感想などを記録したアーカイブです。(非公式)

*【筋少ファン日記のあゆみ】

*【2003年発行「筋肉少女帯の活動記録1979〜2003」無料DL】

(113ページ PDF書籍 ディスコグラフィー・ライブレポート)

橘高文彦デビュー20周年記念LIVE 原宿アストロホール

出演メンバーのスケジュール調整の都合で、1日限りとのことでした。*1残念ながら行けなかった方には、年内DVDを発売する予定とのことですので、楽しみにしていてください。素敵なライブでしたよ!
デビュー20周年記念のCDとDVDは、Amazonでも買えるみたいですので、お早めに。

NEVER ENDING STORY

NEVER ENDING STORY

ライブでアルバムの紹介の時に、「20周年記念アルバムとかいうと、セルフカバーでお茶を濁す人はよくいると思うけど(笑)」と前ふりして、これからまだまだ前に進むという意気込みを見せたかったからとのことで、全部新曲にしたという。このこだわりが橘高さんらしくてね(笑)素敵だなぁ。
ベースは全て内田さん、キーボードは秦野さん。ライブでも話していたが、2人の存在なしにこのアルバムは考えられなかったと話していたのが感激でした。それから、本城さんが2曲作曲を提供していて、斉藤哲也さんがボーカルでライブで演奏した曲はとてもカッコよかった。さすがだわ。もう1曲は水戸さんが作詞で、それをオーケンが歌ってるというのもすごいことだ。オーケンはもう1曲歌っていて、一部作詞も入っている。
AROUGE~暴逆の貴公子~+11 RARE TRACKS

AROUGE~暴逆の貴公子~+11 RARE TRACKS

予定時間より非常に押して、待ちくたびれたところで開始。中央より後ろだったが、それほど広いとはいえない会場は満員で身動きが取れず辛かった。でも始まってしまえば、そこは辛さも吹っ飛ぶくらいに嬉しい。遅いのも橘高さんだからしょうがないか〜って、分かってるコアなファンが集まってるからね(笑)*2何より嬉しいのは、内田さんが最初から出ていること。そして後方にはキーボードの秦野さんが。*3ステージに3人が揃って目に映ってることがすごい。信じられないくらいで、嬉しくて仕方なかった。
ライブでは、メインに「フレンズバンド」ということで、内田さんと、秦野さん、ファンキーさんが橘高さんを支える。橘高さんはMCで、20周年ということで、自分の歴史を振り返って話していく。ちっとも昔と変わらない(笑)サービス旺盛で、笑かせようとする大阪のオッチャンだ。まず最初は、アルージュのボーカル山田晃士さんをステージに呼び、当時の思い出話を。レコーディングの時も、思い出話ばっかりで作業がなかなか進まなかったらしい(笑)
まあ、覚悟はしてたけど、橘高さんの事だから思いっきりやるだろうし、長くなるだろうと予想してたが、予想通りで7時30分に始まって、終わったのは10時過ぎ。よく休みもなくやってるよ。歳も歳なのに(笑)さすが年間かなりの数のライブをずっと続けているだけのことはあるよ。*4
・AROUGE
パワステの披露宴以来ですね。デビューした当時、「俺たちはアルフィーラウドネスどちらになりたいんだ」という話で、橘高さんだけラウドネスで、他3人はアルフィーと答えたから、そこから溝ができたんだよ(笑)とのことで、「そんな事言ったっけ?」と山田さん。ベースの福田さんは仕事の為に欠席で、そのかわりに内田さんが担当。デビュー前にコンテストで一緒だった時に、空手バカボンで橘高さんのアンプを勝手に使ったら爆音でびっくりしたという、ファンには有名なエピソードも出た。内田さんは楽屋で、ヤフオクでロクFを創刊号から2年間分を1万円で落札して、それを持ってきてたそうだ(笑)かっちょいいー。山田さんが「うっちー」と何度も呼んでごきげん。
ユーフォリア
「94年、俺は一人の変態と出会った・・・」と前ふり、さらに「オレもてたいっすよ」などとモノマネまでして、斉藤さんを呼ぶ。「出にくいよ!」最近、橘高家に第二子が生まれておめでとうということで、名前の話に、1人目は「遊歩」で、2人目はたしか男の子だったと思うが、文字は言ってなかったけど「『りあ』にしました。」とのこと。1人目生まれた時から予告してたからね、ふたり合わせて・・(笑)どこまでも有言実行な人だよ〜。ユーフォリアのメンバーは元々秦野さんと内田さんなので引き続きこちらも参加。
筋肉少女帯
オーケンは出る予定だったが都合で出れなくなったということを説明して、内田さんにコメントを求めるが苦笑い(笑)そして本城さんをステージに呼ぶとより一層大きな歓声が。「ようこそ、筋少の大海賊サミットin原宿へ!(笑)」って、早速のっとろうとするし(笑)そんなところ大好きだよー。誰が歌うのかな?と思ったら、橘高さんが、2人が筋少の看板を持っているから、2人で責任持って歌いなさいという訳で(笑)「俺も歌うから、みんなも歌えよ!」3人の配置も筋少の時と同じく並ぶと、内田さんがセンターに。橘高さんが「内田、センターだよ(笑)」と、なんだか内田ちゃん祭りみたいな様相になってきた〜。ごきげんでノリノリではじめようとしたら、1曲目「青ヒゲの兄弟の店」イントロで内田さんがチューニングを間違えちゃって一時中断するというハプニングも。でもそれでチューニングしながら持たせようと喋るので場が和んだりするのも、昔から変わらない3人なのだなぁと思ったり。それで気を取り直して1曲演奏しながら歌い、「なんで(アコースティックの)これが1曲目なんだろうね」と不思議がる橘高さんに、「あんたの曲じゃないか(笑)」と本城さん。そうなのよね、これも橘高さんの作曲だから。2年前の大海賊サミットでも歌ったから一番やりやすいんだろうけど。でもやっぱり橘高さんの曲といえばメタル曲を聴きたいじゃないか。本城さんがエレキギターを持って、立って3人揃うのって最後のライブ以来だと思うけど、そりゃ感激したよ。内田さんがマイク持ってセンターで、「筋少メタルメドレー!」ってな訳で、そうかその手があったかと。「ライブでもあまりやらなかった、筋少最速曲、『スラッシュ禅問答』!」から。ファンキーさんが叩くから全然安心だし(笑)長い曲の中から一番いいところだけダイジェストで、続けて「詩人オウムの世界」「イワンのばか」と、往年の橘高メタル曲を。いや〜圧巻でした。筋少の曲を知ってるけどライブは見た事無かったという人がもしいたら、こんなにライブもすごかったんだと感じてくれたのじゃないかな〜。
橘高さんは、2年前の「大海賊サミット」の時に、あまりよく思わなかったから*5内田に貸しを作ったので、その借りを返してもらうためにとこの企画に全部参加させたのだが、それを上回るほどに酷使させたため(笑)「持つべきものは・・内田」と言って感謝してたのが印象的だった。
XYZ→A
まずは二井原さんの紹介から。ラウドネスを目指してこの世界に入ってきたので、現在こうして一緒にできるとは思っていなかったと、すごく尊敬しているという話をすると、ファンキーさんが「酒飲むといつもこうして二井原好きトークするんだよ」とのことで(笑)恐縮する二井原さんが「日本一腰の低いボーカリストですから」と言ってから歌いだすのも、いい雰囲気だな。橘高さんが、本当にバンドを大事にしていて、自分はここでやっていくんだという気持ちが伝わってきた。それまでほぼ同世代のメンバーとやってきたが、ここでは橘高さんは後輩で、他のメンバーは一世代上の同級生とのこと。ファンキーさんは「20年なんてまだまだ甘いよ」とのことで、プロ30年なのだとか(笑)40過ぎてもパワフルなこと。ファンキーさんのことを、橘高さんが「大槻と同じで、ワーカホリックなんだよ。間が空くとダメなの」と話していた。生涯ドラムを叩いて、叩きながら息絶えたいそうだ。橘高さんが感激して話すごとに、二井原さんがタオルで橘高さんの顔を拭いてあげて、わざと号泣のふりするミニコントがなんども繰り広げられてた(笑)二井原さん、歌ってないとなんだか芸人さんみたい。
・エンディング
最後に、橘高さんから挨拶があり、ギターを始めた子供の時に家庭が複雑で、弾くことで母親が喜んでくれたり、友達が集まってくれるから、ずっと弾き続けてたのだと。またプロになっても、最初にデビューしたバンドがすぐに解散して、落ち込んでいたら声をかけられて筋少に入って、それがまた不本意で終わることになって居場所を見失っていたら、また声をかけてくれたと、自分は恵まれないと思っていたけれども、本当は恵まれているんだよねと話していた。素晴らしい友人に囲まれて、ずっとギターを弾き続けていられることは幸せなことだよね。私もファンになった16歳の時から、ずっと今まで活動を現役で見ていられることがとても嬉しいことだよ。20周年記念ソロアルバムから、橘高さんがボーカルのバラード曲「THANK YOU」を歌いながら涙を流していたのも、橘高さんらしいなぁと思って胸が熱くなったし、またアンコールでゲスト全員ステージに呼んで「NEVER ENDING STORY」を二井原さん中心で歌い、はける時に最後に内田さんにところに本城さんが寄って肩を組むと、橘高さんが振り向いて駆け寄って抱きついて、3人で肩組みながら降りていったのを見て、彼らの友情の絆が素敵だなぁとじーんとしたのだった。

*1:ファンキーさんが北京から来日して、翌日は帰ってしまうとのこと、などなど・・・

*2:昔は遅刻癖があったから。

*3:筋少のサポートメンバーであった。ラルクのサポートのほうが有名かな?

*4:参加メンバー平均年齢40歳くらいのはず

*5:おそらく、音源の品質が悪いのでという理由で納得がいかなかったそうだ