筋肉少女帯ライブ・過去日記アーカイブ(1989〜)

筋肉少女帯の活動履歴、ライブ感想などを記録したアーカイブです。(非公式)

*【筋少ファン日記のあゆみ】

*【2003年発行「筋肉少女帯の活動記録1979〜2003」無料DL】

(113ページ PDF書籍 ディスコグラフィー・ライブレポート)

「筋少の大海賊サミット」渋谷7th FLOOR

筋少の大海賊」発売記念イベントということで、先行発売と内田さんと本城さんのトークライブが行われました。場所は渋谷のON AIR EAST(現在改装中で更地。年月を感じました)の前にあるビルの中に入っているライブスペース「7th FLOOR」です。チケットが前売りのみ80名限定だったそうなので、こぢんまりした空間に椅子が並べられていました。ここに集まった人達は落ち着いた大人ばかりで…(笑)みな往年の筋少ファンなのかぁ〜と思うだけで感慨深いものが。

内田さんと本城さんが二人揃って生で見られるのは、最後の渋公ライブ以来4年振りです。
私は活動停止後から凍結までは追っていましたが、その後オーケン関連は追っていなかった為、内田さんが「特撮」から離れた頃の詳しい事は知りませんでした。このイベント発表を聞いてからネットで調べてみたら、なにやら最近オーケンと内田さんは疎遠な状態にあるとかで、驚きました。
今日はもちろん筋少の話になりますから、どんな話をするのだろうかと期待とちょっぴり不安を抱きながら待っていました。

イベントの開始時にかかった曲は「21世紀の精神異常者」—おなじみライブでの登場SEです—今は21世紀なんだなと書いて思ったが、その時はもうこれだけでライブの事を思い出して胸が高鳴りました。内田さんが登場すると、マイクを持って第一声、
筋肉少女帯です!…色々ありましたー!」
うわああ、この一言にどれだけ重く、熱い思いが込められているのかと思っただけで、ぶわっと胸を込み上げてくるものがありましたよ。足を左右に踏み出しながら「いろいろ…色々ありましたぁー」とくり返し言う内田さんを見て、本当にこの日を待っていたんだと思いました。会場は大きな拍手、拍手で迎えます。

内田さんの出立ちはTシャツにチェックのネルシャツを重ね着という、変わって無いですね〜。何故かショルダーバッグを掛けているのはどうしてかな?と思ったところで、今日の司会である「帰ってきた音楽評論家」市川さんを紹介。登場した市川さんはもっと久々に見たと思う。恰幅のいいおじさんになってました(笑)そこで二人が椅子に座ります。市川さんが業界をリタイアしていた1年少しの間に筋少が縮小して凍結してしまったという事で、後で聞かされて驚いたという話をしている間に、内田さんはバッグをごそごそしはじめました(笑)
「今日は僕が司会ってことになっているけど、本当は全て内田君のプロデュースなので(笑)段取りは全て彼が」と市川さん。内田さんがバッグから取り出したのは、本日の進行表らしきものと、何故か呼び出しベル。レストランによくあるテーブルに置いてチーンと鳴らすベルね(笑)「これ何に使うの?」と聞く市川さんに「いや、話題が変わる時とかに使うかなと思って」と内田さん(笑)ああ、うっちーらしいです〜。
今日の為に昨晩まで色々と資料を作って準備して来たそうです。本番前まで真剣な顔で打ち合わせしていたとか。ライブではいつもぎりぎりまで寝ているのに…なんて話もありました。今日は内田さん、とても気合い入っています。そしてとても嬉しそう。
取り出した用紙を見ながらまずは、「筋少が活動停止した理由のウワサ」をネットなどで集めてきたそうで(笑)それを読み上げました。私もいくつか見ましたが、オーケンもエッセイで色々と面白く誇張して書いてたようだし、話が色々違ってきてるようですね(笑)一番多かったのが「橘高が遅刻するから大槻が怒ってケンカ」という(笑)
あとウワサ話で面白かったのが「内田の家が火事になったのは、中学時代に大槻が内田と友達になりたかったから火を付けた」っていう(爆笑)オーケンの性格から、話がありえそうに思えてしまう所が笑えます。
解散の経緯は、ロッキングオンジャパンに書いてあった内容が、ほぼだいたい合っているねとのことでした。やはり内田さんは、少し話しづらそうでたびたび言葉に詰まっていました。市川さんが「だいたいこの話はアルバムのライナーノーツに僕が書いたので、それを読んでくれれば分かります」と上手くフォローしていました。市川さんは昔から筋少を一番冷静に見て愛あるツッコミを入れてくれてたライターさんだなぁと思っていたので、市川さんが解説を書いて、話を聞かせてくれて本当に良かった!と思いました。

「今日ここで話した事は一歩外に出たら言わないように!(笑)」と市川さん。大槻のスパイはいないよな〜、とか太田のスパイは、橘高のスパイは、と、彼らの話題が出る度にしきりに言ってましたね(笑)耳に入ったらまずい話というわけで(うはは)ネットで書くなよ〜とも(笑)内田さんも市川さんも色々ネットを見ているようですね。私も今回の予習の為に色々見ました(笑)私が筋少の追っかけをしていた時は携帯電話すらなかったけど、今は恐いですね。すぐ情報が流れてしまいますから、油断できません(笑)しかしそれを集めてプリントしている内田さんの姿を想像すると可愛いです。
当日は、日中に特撮のインストアイベントが渋谷のCDショップであったとか、わざとぶつけたのかな?と思ったけれど、内田さんは全く知らなかったそうです。偶然で。これを見た後にこちらに流れた人もいたようですね。いくらなんでもファンは被ってますから(笑)それを分かっていての事でしょうから、本当にまずい話はしてない…と思います。(笑)市川さんが失踪して復帰してきたばかりの時に、オーケンにトークライブのゲストとして呼び出されて、「失踪とは何か?」を語ってくれと言われて、がっかりしたよ!とのこと。これは書いておきましょう(笑)

二人でしばし話したあとで、本城さんを呼び出します。本当に久しぶりです!客席を見回しながら登場した本城さんは「皆に会えて嬉しい」と言ってくれました。感激です〜。本城さんの格好は黒のナイロン地みたいな上下のスポーツウェアでした。ヘアスタイルは金髪で短めのストレート!きゃー。素敵です。そして話し振りは全然変わっていませんね。
本城さんと内田さんが、揃って目の前に筋少として居るということが、感激で夢のようです〜。なぜか内田さんと本城さんの間に市川さんが居るので、「なんで俺がまん中なの」と(笑)

そもそもこの「大海賊」。海賊盤(ブートレッグ)とは何かという市川さんの解説がありました。本来は海外ミュージシャンでは昔からよくある、ライブ音源を勝手に撮って未許可で商品化したものというものですね。このアルバムは本城さんと内田さん二人が選んで手掛けたもので、オフィシャルですが海賊盤。恐らく元メンバーには未許可なんでしょうね(笑)
この音源は全て本城さんが所有していたものだそうです。「物持ちいいよね〜」と市川さん。本城さん、全部チェックするのは大変だったよ〜とのこと。内田さんにも「選んでおいて」と渡すのですが、聴き終わる頃にはどれが良かったか忘れてしまっていたらしい(笑)最初は久しぶりに音源を聴いて客観的に筋少を初めて見れるようになり、「かっこいいじゃん」と思ったそうですが、あまりの多さに最後には「もうしばらくいいや」と嫌になったそうです(笑)
筋少の大海賊」というタイトルの由来は、最初にベスト盤「筋少の大車輪」が出た時、内田さんがタイトルを付けました。(オーケンが「松本零士の影響だ」と言っていた)その流れで「大○○」シリーズは、筋少の何かと区切りがある時のアイテムの名前として付けられるようになったのですね。今回も内田さんのセンスに溢れてるな〜と感じました!
今回、このアルバムジャケットのステージセット写真—1994.12.2 日本武道館「リルカの葬列」—ですが、内田さんが撮った写真だそうです。橘高さんのアンプ積みに「箪笥、箪笥」と市川さん。内田さんは当時一番カメラに凝っていたとか。でも最初に「大海賊」というタイトルにしようと思った時に、本城さんと二人で「ジャケ写で海賊の格好をしようかと思った」そうです(会場、かなり爆笑)「片目のアイマスクとかしてね」と、そのコスプレ姿をした二人がありありと脳裏に浮かびましたよ(笑)今なら漫画の「ワンピース」風でしょうか。

曲選びの基準として、ライブの定番曲を省いたとのことで、「また米?」「またイワン?」とか言われるものではなく(笑)演奏がカッコイイと思う物を選んだそうですが、「大槻の語りが入ると1曲でアルバムの収録時間終わっちゃう」とか(笑)この演奏かっこいいじゃん!と思ったら最後に大槻が「ポヨンチョー!」とか言うのでだいなしとか(笑)作業は難航したそうです。
内田さんがステージ脇から取り出したのは内田さん制作の「アルバム発売年表パネル」!ジャケットの写真が貼ってあり、素晴らしい出来栄です。市川さんがすかさず「よく出してたよね〜。Xがシングル1枚出す間に、何枚アルバム出しているの?(笑)」と。22期筋少の作品からということで、内田さんがパネルを指差して、初期の2枚のアルバムを「ここだけクローズアップされる事が多いんだけど、たった1年少しの事なんですね。その後こんなに沢山出しているんですよ。」という言葉が嬉しかったですね〜。

そして、「秘蔵ビデオの上映」!ということで、未公開写真やビデオ、テレビ番組を少しづつ編集したものを9年分どどっと上映してくれました。休憩しながら脇で本城・内田、市川さんの3人も鑑賞。90年頃の5人は表情も若くて活発ですね。全国ツアーでは各地で観光を楽しむ状態のリラックスしたメンバーの姿が可愛いです。テレビ番組も懐かしい〜!見てた見てた。一回きりの「トップテン」とか!(90年1月15日の日記を参照(笑))「筋少の深夜改造計画」ありましたねー(89年10月)「メンバーそれぞれミニコントみたいなのがあるんだけど、それはさすがに恥ずかしくて見せられない」と本城さん。でもしっかり覚えてますよ(笑)ここが一番楽しみでしたから〜。この辺りからメンバー各々の個性が発揮されるんですよね。そして、月光蟲のレコーディング風景は貴重でした〜。うふふ。働きまくりの20代!みんないい顔している。いい男だよなぁ…とひしひしと感じました。
会場は爆笑と感嘆の渦でした。このビデオも全て本城さんのお蔵出し(笑)またもや市川さん大感心。編集も2人の手によるもので、その出来も素晴らしいです!ドキュメンタリー番組風のタイトルは内田さんのセンスですね(笑)
本城さんが「俺はすっごい面白いんだけどね、この面白さが伝わるかどうか」と言っていたのがすごく印象的で、本当に楽しいんだなぁ〜というのが伝わってきましたよ。

その後、「ゲストをもう一人お呼びします」とのことで、まさかオーケンじゃないだろうね?と思ったけれど、同じ日の日中にまた別のところでイベントをされていた、水戸さんが駆けつけてくれました。水戸さん大好きなので、また久々に見れて嬉しい!「最初から見ていたんだけど、うっちーが心配で心配で。」とのこと(笑)水戸さんたら、内田さんの保護者みたいにすっごく可愛がっていました。進行でおたおたする内田さんに「この子はやれば出来る子だから」とか(笑)
水戸さんを加えて、バンドブーム当時の話などで盛り上がります。「バンドブームって、たまたま歌謡曲が下降して、アイドルがネタばれしておニャン子も終ったから、俺達ロックバンドが浮き上がっちゃっただけなんだよ」という、とても説得力あるお話。水戸さんすごく話が上手いです〜。「おかしい奴らの野放し状態だったからなぁ〜」といくつか当時言えなかったようなバンドマンの裏話みたいなのも。

水戸さんが最後のほうで、こんな事を筋少に言ってくれました。
「一度世に出たバンドは、解散や休止をしたとしても、君たちのこの外側で、どこかで何かしらの形で存在し続けるんだよ。プロレスラーに引退は無いというのと一緒で、バンドに解散というのはないんだよ。」
これを聞いた時、じーんときましたね。本当にそうだなぁと思いました。筋少はあちこちに存在しているんですね。最近、グルグル映畫館が主催したというライブイベントの話を聞いて、ラストの全員セッションで「日本の米」をやったらしい(笑)なんだそりゃありえね〜って思ったけど、嬉しかったですね。ふとその話が浮かびました。
アンジーは復活したよね。という話に水戸さんも「筋少もいつか復活するよ。ドラムはポンプさんかもしれないけれど(笑)」なーんて。そんなあ〜。でも、内田さんが選んだ方だったら許します(笑)内田さんが最近、陰陽座と一緒に演奏した話も聞きましたが、それもいいですね〜。

結局、呼び出しベルは一度も使わずにテーブルに置きっぱなしでしたが(笑)イベントの最後は、ライブ映像をたっぷりどうぞ!という事で、9年分のライブ映像をぎゅっと編集したものが流されました。素晴らしい!感動が蘇ってきます。やっぱりライブは一番カッコイイ。でも筋少ちゃん祭りの模様とか、可愛らしい場面も見たかったな。そういう部分も筋少の魅力の一つですから、次回機会がありましたらぜひ…(笑)
最後の御挨拶は、本城さんデザインのTシャツを来て登場です。内田さんが、締めにやる例のかけ声を…。ダー!って(笑)
イベントはとても二人らしく、そして私の一番好きな筋少がそこにありました。本城さんと内田さんの二人の「筋少」は「5人筋少」をとても好きで大事にしているんだな〜と感じました。ここまでとは思っていなかったので、すごく嬉しかったです。ファンよりも二人が一番楽しそうでした〜。
イベントは3時間くらいでしたが、あっという間でした。もっともっと話を聞きたくて、私も筋少を語りたくなって、一晩中話していたいという気持ちでした。いつも筋少は、私の予想を上回るものを見せて感動させてくれたけれど、こうして今も、全く予想なんてしてなかった事をしてくれて、「筋少は続いているんだな」と思いました。すごく幸せな時間でした。
年表を見直して気が付いたんですが、今年で結成20周年だったんですね。購入したTシャツを見て、もう筋少は見れないんだと寂しく思っていた気持ちは消えました。いつかまた筋少を見に行く日をゆっくり待っていようと思います。
(追記)
「大○○」のタイトルは、デビュー時に出たビデオのタイトルですでに使われていた事に後で気が付きました(汗)当時の事は知らないのでどなたがタイトルを付けたか分からないです。申し訳ありません。