私は“理想の筋少本”ちょっとかえると“筋少同人誌の理想”私の見たかった事そしてやりたかった事、しかし実力的にムリだから。自分では、しかしなかなかそういう方向性に全体がなってくれなかった。自分を認めてほしかった。自分にいばしょがほしかった。描きたい事を描いてたのには変わりないが。そのうち橘高さんに入れこむようになってしまったのが予想外。それでも私はオールラウンドでやってきたかったし、目標をはたしたかった。
他人に対して、少しいやだなとか思った点があっても、おさめちゃうっていうか、決してガマンするんじゃなくて、自分でなっとくいくように自然に考えてしまう所があって、怒ったらだめだーっていうか。まぁガマンするとこもあるけど。それに怒られてそれはちがう!とか思っても。言われちゃうとガマンするんじゃなくて、自分に非があったんだーとか。まちがってたんだーとかって、まぁすなおに考えてしまったりして、まーケンカしていやな気分になったりとか自分の価値がおちたりとか敵つくったりとかするのが少しでもいやだった。いわゆる“いやなやつ”にだけはなりたくなかった。だけど本当は、本当の自分にうそつくということなのであって、だれに対してもいい人、好かれる人であれば悲しんだりすることなく生きていける。それが大事だって思うようにしてて、そんな事だれにも分かるはずないし、いい人でいれば好かれるって、思ってたのが、一番いたいとこ他人につかれてしまってその部分が私の一番“いやなやつ”をきらわれてしまった事、私の人生まちがってたのかな。じゃあその先に何があるっていうんだろう?